2011年12月1日木曜日

"ハシズム"と民主主義

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● google画像より




ダイヤモンド・オンライン 2011年11月28日 上久保誠人 [立命館大学政策科学部准教授]
http://diamond.jp/articles/-/15049

橋下・大阪維新の会W選圧勝!
“ハシズム”と民主主義、そして教育基本条例案の行方

 大阪府知事・市長同日選挙が投開票された。
 市長選は、府知事を辞職して立候補した橋下徹前大阪府知事・「大阪維新の会代表」が、自民党、民主党、共産党など「既存政党」が推す平松邦夫市長に圧勝した。 
 府知事選も、「維新の会」幹事長・松井一郎氏が大差で勝利した。
 「維新の会」の完勝は、橋下氏のパフォーマンスがもたらしたものではない。
 「大阪府構想」を提示した「維新の会」に対して、平松邦夫市長と「既存政党」が「独裁者から大阪を守る」という感情的な批判に終始したためだ。
 結局、橋下氏のペースに巻き込まれて、政策論争を忘れたことが敗因となった。

 橋下新市長と「維新の会」は、強烈なリーダーシップが期待される反面、「独裁者」と批判される危うさがあると評される。
 だが、橋下新市長への批判には「誤解」が多い。
 今回は、府・市政の今後を考えるために「橋下政治」を再評価する。

■橋下氏の「政治手法」(ハシズム)に関する誤解
――橋本氏の政策実現手続きは“独裁”か?

 橋下氏に対しては、派手に政策をぶち上げ、反対する政治家や官僚を「国民の敵」とレッテルを貼って激しく罵り、市民を扇動しているとの厳しい批判がある。
 その「政治手法」はファシズムを捩って「ハシズム」と呼ばれる。確かに、「ハシズム」批判に妥当な部分がないわけではない。

 橋下氏は
 「日本の政治で一番重要なのは独裁」
などの、強烈な発言が目立つ。
 だが、客観的に見て、彼は議会制民主主義のルールを破っているわけではない。
 府知事選で当選して府知事となった。
 議会で政策を通すために、「大阪維新の会」を立ち上げ、府議会議員選挙を経て、最大多数派を形成した。
 「大阪都構想」実現のために、府知事を辞職し、大阪市長選に当選した。

 橋下氏は政策を、常に選挙という民主主義のプロセスによって実現しようとしてきた。
 また橋下氏は、トレードセンター(WTC)への府庁舎移転の提案を議会で否決されたこともある。
 これは彼が、府議会の意思決定という民主主義の手続きも尊重していることを示している。

 橋下氏は、確かに「ポピュリズム的手法」を用いる。
 但し、それは橋下氏が「ポピュリスト」であることを意味しない(前連載第27回を参照のこと)。
 橋下氏は知事時代、財政改革を断行するために、大相撲大阪場所で優勝した力士への知事杯授与の知事杯の廃止や、府立体育館やスポーツセンター、上方漫才資料館(ワッハ上方)など大阪府が持つ83施設の大半を売却か廃止するなど、府民の楽しみを奪ってきた。
 私学助成金のカットなど、「聖域」と呼ばれてきたものも削減した。

 橋下氏の強力なリーダーシップを「独裁」「強引」と呼ぶのにも違和感がある。
 議会制民主主義の本家・本元の英国では、増税などの新政策が、法律の成立なく、首相が発表した即日に施行されることがある。
 しかし、英国民は首相を批判しない。
 選挙で選ばれた首相の決断の正当性を尊重するからだ(第5回を参照のこと)。
 英国の政治制度が日本より民主的かは、議論の余地がある。
 だが、少なくとも民主主義のあり方に多様性があるということは、政治を分析する際に留意する必要がある。

■橋下流「教育改革」をめぐる誤解
――“やり過ぎ”の側面と事実誤認

 橋下氏が府知事時代に作成した「教育基本条例案」への批判も厳しい。
 筆者も、同意できない点が多々ある。
 愛国心は重要だが、強制されるべきではない。
 「君が代起立・斉唱義務付け」はやりすぎだ。
 欧州に7年滞在した筆者の実感では、そもそも日本人は強制されなくても愛国心が強い。
 また、2年間業績が悪いくらいで、教員の懲戒免職を可能にするのも問題だ。
 多くの企業が「年功序列」「終身雇用」の日本型雇用慣行を維持している日本社会で、教員の完全実力主義の評価制度というのは突出しすぎだ。
 どんな組織でも優秀な人材だけで成り立っていない。
 業績が上がらない人材を即座に切り捨てたら、組織は維持できない。

 そして、橋下氏の「教育権の独立」の考え方には問題がある。
 「教育に政治介入が必要」という主張は、完全に事実認識を誤っている。 
 「ゆとり教育」など、むしろ日本の教育現場は、外部からの政治介入を受け続けてきたからだ。
 「学校教育法」で保障されている「教育委員会→校長→教員」の指揮命令系統が形骸化したのも、政治介入がないからではなく、日教組による政治的圧力の結果だ。

 歴史的に、「校長の権限弱体化」は日教組の教育現場での闘争の中心だ。
 「校長の権限強化」に異様なほど反発する教育委員たちは、教育現場も子どもの将来もなにも考えず、偏った思想で権力闘争を行っているのだ。
 即刻解任すべきなのだが、橋下氏の事実誤認によって、本当に必要な改革が何か、混乱してしまっている。

 橋下氏の教育改革は、このような政治介入を排除するため行われるべきで、事実認識を改め、修正すべきだ。
 「教育権の独立」の重要性を理解し、政治に対する中立性を持ち、真に見識ある人物を教育委員に選び直し、以後教育に対する政治介入を一切許さない体制を全国に先駆けて確立すべきだ。

■深刻な学生たちの「学ぶ力」の劣化
――ゆとり教育“後遺症”の治療が急務

 一方、橋下氏の「『学力低下』を克服し、『国際競争力のある人材』を育成する」という主張については、「国際競争力」を成績・点数の向上と狭く解釈している点に難があるが、多くの部分で賛同できる。

 橋下氏に反対する方々は、
 「自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと」
という「学ぶ力」を育むことが大切だという。
 だが、大学の教育現場にいると、まさに学生の「学ぶ力」の劣化こそ深刻だと感じる。
 これは、明らかに「ゆとり教育」による基礎学力不足からきている。
 基礎的な知識の引き出しがないために、勉強したくてもどこから手を付けていいのかわからず、教員の指示を待って立ちすくむだけという学生が多いのだ。

 また、学生からよく聞くのだが、小中高校で「ゆとり教育」が標榜したような「多角的なもの見方」「論理性」「多様な価値観」などを教えられた認識がないという。
 筆者は、大学で少人数のセミナーを担当してきたが、いつも悩まされることがある。
 それは、欧米のセミナーのような、少人数で多様な意見を自由に出し合う場が作りにくく、むしろ異論を言いづらい空気が醸成され、個性的な学生が排除されていき、次第に「右向け右」の集団が出来上がっていくことだ。

 実感として、今の若者は大学に入学した時点で、我々の世代と比べて価値観や考え方が画一的で、「内向き」と評されるようにものの見方が狭い。「ゆとり教育」は議論を否定し、画一的な若者を作ってきたと断ぜざるを得ない。

 但し、1つ指摘しておきたいのは、今年「UKフィールドワーク」に連れて行った学生たちのように、難しい課題を与え、高いモティベーションを持たせると、学生は驚くほど頑張って急成長することだ。
 セミナーでは個人に課題を与え、「個」の重要性を強調した。
 時に厳しい言葉で叱責したりもしたが、学生はむしろハードワークに喜び感じているようだった。
 学生は、もっと自らを厳しく鍛えて成長したいと思っているのではないか。

 橋下氏に反対する方々のいう「学ぶ力」とは、政治的思惑による屁理屈に過ぎない。
 その結果、日本の学生は、世界で競争する能力を身に着ける機会を喪失し、日本の外で働けず、日本国の衰退と運命を共にするしかないリスクを負っている。
 「ゆとり教育」によって、日本の学生は世界の大競争から完全に取り残されたのだ(第19回を参照のこと)。

 小中高で十分に教育されていない学生を、わずか3年くらいで企業のニーズに合う人材にするため、大学の現場は死にもの狂いなのだ。
 橋下新市長と「維新の会」には、ぜひこの現実を理解して教育改革を行ってもらいたい。

■橋下氏の「大阪都構想」への誤解
――橋本氏の完全オリジナルではない

 最後に、「大阪都構想」について考える。
 「大阪都」とは、「大阪府」と「大阪市」を一度解体して、その後組み直して作る巨大な「特別区」のことだ。
 その目的は、府と市が同じ地域内で似たような事業を行っている「二重行政」を解消し、税金の無駄使いをなくすことで、効率的な行政と財政赤字削減を実現することだ。

  「大阪都構想」は、1950年代から関西財界を中心に存在していた構想で、橋下氏のオリジナルではない。
 近年でも、2000年に太田房江前知事が同じような構想を打ち出していた。
 二重行政の解消がもたらすメリットは、誰にでも明らかである。
 その意味で、この構想に対する政策論的な反対はほとんどないといえる。

 平松市長や既存政党は、「橋下氏の独裁から大阪を守る」と訴えて、「大阪都構想」に反対していた。
 しかし、平松市長らは、「二重行政」の解消を阻止することが、なぜ大阪を守ることになるのか、論理的な説明をしてくれなかった。

 「大阪市は税金をむさぼるシロアリだ」
などと、罵詈雑言を浴びせる橋下氏への感情的反発を理解できなくはない。
 しかし、それに著しく論理性を欠く反論や、感情論・人格攻撃で応じてしまった。
 結局、橋下氏を政策論争で論破するという正攻法で攻めなかったために、橋下氏の土俵で戦うことになってしまった。

 今回の選挙結果について、市民が橋下氏のパフォーマンスに扇動された結果だという見方がある。
 また、大阪はタレント議員や知事を輩出してきたことで知られ、政策よりも「ノリと面白さ」が重要との指摘もある。
 だが、その見方は一面的で、フェアではない。

 今回の選挙戦は、客観的に見て、政策を訴えた側が勝利し、感情に訴えた側が敗北したのではないか。
 そもそも、「扇動の結果」と「見識ある選択」の違いはなんであろうか。
 橋下氏を批判する方々がいう「見識」とは、「自らと同じ考え持つこと」という意味に過ぎないように思える。
 異論をすべて「扇動の結果」として排除する姿勢は、「ゆとり教育」と同じく、議論を否定する空気を作ろうとしたものだ。
 むしろ橋下氏を批判する方々の言動こそ、民主主義を破壊する危険なものではないだろうか。





ニュースウイーク 2011年11月28日(月)12時21分
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/11/post-372.php

「橋下イズム」と「ティーパーティー」その同時代性 冷泉彰彦

<<略>>

 まず、橋下新市長が
 「どうして日の丸・君が代にこだわったのか?
という戦術を全く理解していないという「大バカ、大間抜け」ぶりにあります。
 あれは非常にシンプルな戦術なのです。
 維新の人たちは、別に戦前の日本に戻したいわけでも「たちあがれ」的な形で高齢者のカルチャーに寄り添いたいのでもありません。

 そうではなくて「日の丸・君が代」で攻めれば
 「敵はきっとイデオロギーから反発して感情的になる
だろうというのが彼等の「狙い」なのです。
 そうして
 「庶民の生活レベルの話や、大阪全域の経済再建」
などの実務的な、具体的な政策論を説く代わりに、イデオロギー的な橋下批判に彼らが専念すれば「シメシメ」という作戦です。

 イデオロギー的にカッカすることで、「反独裁」とか「反ファッショ」などという絶叫しかできない場所に追い詰められ、それが正義だと我を忘れた「反橋下」陣営を見ていると、中間層は選挙戦の展開を見ながら、これでは
 自分たちの民生向上にも閉塞感打破にも「全く役に立たない」
という風に見てしまったわけです。

 こうなると完全に橋下氏の「思うツボ」です。
 一旦自分たちがモメンタムを獲得してしまえば、反対派が「反独裁」を叫ぶということは
 「漠然と橋下支持を固めた中間層」
に対して
 「お前たちはバカだ」
と見下しているということになり、
 「叫べば叫ぶほど票が逃げていく
無限の循環に陥るからです。
 まんまと罠にはまったわけで、以降は全く勝負にならなかったのです。
 弁解の余地はありません。
 今回の反橋下陣営の体たらくはお話になりません。 

 では、橋下陣営は今後、大阪をどうするのでしょう? 
 リストラ効果は(できたとして)多少はあると思いますが、肝心の成長戦略については余り期待できないと思います。
 大阪が少なくとも、アジアとの結びつき、西日本と東日本の要に位置する地の利を生かし、人材を改めて集め育てて繁栄を取り戻すための具体策は全くの白紙だからです。

 ですが、「破壊」なくして「意味のある現実的で中道的な選択肢」に辿りつけるかというと、現在の日本の政治状況の中では
 「破壊やむなし」
ということでしょうか。
 それにしても、
 「反橋下陣営」は余りにも、余りにもお粗末でした。
 これでは、民意が「破壊」を選択したというのも止むを得ない、
そのように思います。






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