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● 中央日報
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2011年12月01日15時22分 [ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/075/146075.html?servcode=100§code=120
【コラム】‘馬鹿’な 韓国人を教えなければいけないだと?
今年5月、韓米両国の核専門家が小数精鋭討論のためにソウル市内のある大学に集まった。
ある米国人専門家Aが特別に目立った。
驚くほどの識見や誠実な態度で視線を引くのならいいが、それとは正反対だった。
韓国人出席者が熱弁する間、何度もあくびをしたり、退屈そうに遠くの山を眺めたりした。
有名な米シンクタンク所属の研究員Aはついに隣の米国人同僚にメモを書いて渡した。
その内容を隠そうという最小限のマナーもなかったため、一部の出席者にそのメモが見えた。
内容はこうだ。
「韓国の専門家たち、やはり馬鹿だ(clueless)」。
当時現場にいた複数の出席者が証言した内容だ。
百歩譲って「clueless」について違う解釈をしようとしたが、英韓辞典に出ている意味は2つしかない。
「とても馬鹿な」
または
「…できない」。
どちらも聞く人間にとってうれしいものではない。
当時、会議には韓国側から最高レベルの専門家が出席していた。
この日の討論テーマは「核安保」だったが、韓国の専門家であるため自然に北朝鮮の核脅威に話が流れた。
これを問題のAが「核安保について無知」と感じたのだ。
研究員のこうした態度は今回が初めてではないという。
米国で‘韓国通’といわれるAの口癖は
「われわれは韓国人を教えなければいけない」(We have to educate Koreans)」
だ。
時々
「韓国はわれわれ(米国人)が知っている方式の民主主義でない(Korea is not a democracy of the way we know democracy)」
という発言もするというのが、ワシントンDC学界関係者の話だ。
もちろんA研究員1人が米シンクタンク関係者を代表するわけではない。
実際にAは中身がなく騒がしいだけの人間に近い。
核心はこの騒がしい人間を‘米国人専門家’として迎えている韓国内の一部の現実だ。
米国の学界関係者は
「韓国人はいつも米国人専門家を招請してこそ形になると思っているようだ」
と指摘した。
米国人専門家が必要ないフォーラムやセミナーにも米国人研究員を呼んでこそ箔が付くと考える傾向がある、という指摘だ。
問題はこうした認識をAのような人たちが悪用するという点だ。
外国人の前では東方礼儀之国でなければならないという思い込みまでが重なり、韓国がカモにされるような状況が演出されるという声もある。
今はもう米国現地専門家の玉石も分ける時代になった。
米国人専門家だからといって無条件にもてなすべきではない。
同時通訳がいるフォーラムでも、不便を感じながら英語で話す韓国人をよく見る。
しかしバターの発音で天気の話をするよりも、キムチの発音で核心問題を討論するほうがはるかに意味がある。
少なくともAのような人たちが‘知りもせず’に韓国を見下すような状況をつくるのは避けなければいけない。
お金をかけてまでカモにされる必要はないではないか。
』
”A”なる人物がどう言ったかはしらないが、この記者は「バカだ」。
だからこそ「中央日報」を読む価値があるのだ。
おそらくこの記者も中央日報上層部もそのことを知っている。
「バカを演じ続ける」ことによって中央日報は存続できている。
だから「バカ」とは称賛の証でもある。
正論を吐いたら、誰も中央日報など読みはしないのである。
今日は、どんなバカを言っているかな、という期待でアクセスするのである。
オオー、今日も相変わらずバカやってるナ!
これで、楽しくなるのだ。
これは中央日報のミッションでもある。
バカを演じ続け、バカになりきること。
それがこの新聞には求められているのだ。
そして、そのことをこの新聞は十二分に理解している。
だからこそ記事下の「コメント欄」をオープンさせているのである。
この新聞の存在理由はそこにしかないのである。
ただし、私はよほどでないと読まないが。
書いている方も、半分冗談で書いているからである。
つまり、記事も冗談なら、書き込みも冗談なのである。
マスコミのお笑いを狙っているだけなのかもしれない。
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